ハッピーハロウィン

 

 

 暗くて足元がよく見えない。だけどこの階段はもう目をつぶっていても降りられるくらい私の歩幅に馴染んでいた。この階段を降りるのは何ヶ月ぶりだろう。半年、いやもっとかもしれない。降りた先には見慣れた景色が広がっていた。どんよりとした空気、コンクリートがむき出しの冷たい壁、理性を取り戻させる大きな鏡、規則正しく並んだ無数のロッカー、そしてその先に広がるうるさくて頭の悪そうなネオンが不規則に飛び交っている大きなフロア。よりによって10月31日のハロウィン当日に私はみさきに引っ張れて渋谷のクラブに来てしまっていた。近年、ハロウィンの渋谷、通称「渋ハロ」の治安は悪化の一途をたどっていて、去年は路上で軽トラックが何人か、いや何十人だったかもしれない、の男たちによってひっくり返されニュースでも連日大きく取り上げられた。SNSに出回っている動画を観て笑ってしまった。トラックをひっくり返している最中、明らかに最初にけしかけたと思われる数人以外はみんな「やばい」という半分理性を取り戻しているような表情をしているように見えたのだ。どうせでかいことやるなら、自分を忘れて全力で常識を吹っ飛ばせばいいのに、空気に飲まれて見切り発車をしたものの途中でビビって自分のやっていることに気づく。それなのに引き返す意志をもつほどの頭が回らないなんて中途半端で一番ダサい。そのダサさに笑ったのだ。今年は渋谷の中心区で路上飲酒が禁止となり、「渋ハロ」の警戒に約一億円の税金が使われるらしい。しかし、そんなこと私にはなんの関係もないのでどうでもいい。問題は今日私がこの無法地帯で無事に一晩過ごせるかということだ。

 

 

 足取りの重い私に気づかずにみさきはどんどん前へ進んでいく。ここ一年ほど男運がなく、どうしようもない茶番のような恋愛を繰り広げていたみさきを思い出し、流石に何か協力してあげたいな、そう思い直した私は、もう覚悟を決めて今日という夜を楽しむことにした。

 

みさきとは18歳の時にとあるクラブのデイイベントで共通の友達を介して出会い、しばらくその友達とみさきと3人で遊ぶ期間を経て、いつしか2人で遊び歩くようになった。初めてお酒で潰れた日も、初めてナンパされた男に着いて行った日も、初めてクラブに行ったのもみさきが一緒だった。

 お互いの異性のタイプも今何を考えているかも手に取るようにわかるので、一緒にいてとても楽だ。振り返るとここ6年間みさきとばっかりいた気がして、自分の友達の少なさに寂しさを通り越して呆れてくる。

みさきは一度気に入った異性が見つかると、関係を発展させるのが早く、私をクラブやバーにおいて、さっさと出て行ってしまうことも何度かあった。今日もきっとそうなるだろうと思った。この話を他の人にすると嫌な顔をされがちだが、私にはそのくらいの身勝手さが心地よかったし、みさきの奔放さが羨ましくもある。私にみさきの半分でも潔さがあったらもう少し周りに人がいる人生だったのかもしれない。

 

 

 

「あれ?みさきちゃん?あや?」

いつものように、まずバーカウンターでお酒を調達しようとしたら、知り合いのDJに出くわした。確かショウ、みたいな名前だった気がする。

「わー久しぶり!」

私よりはるかに社交的なみさきが中心となって会話を繋げてくれる。お酒の力を借りないといわゆる「ノリのいい」状態になれない私はいつもこんな風にみさきに助けられていた。

「久しぶりだし飲もうよ!」

そう言ってショウ(仮)から次々と差し出されるショットを流し込んでいるうちにだんだんいい気分になってきた。

「踊ろう!」

そう言ってショウくん(私の記憶は正しかった)と物理的な距離を縮め始めたみさきの腕を無理やり引っ張り、DJブースの前の方に連れていく。

 

 

 

髪の毛にまとわりつくタバコの煙と、心臓にまで届く重低音、意味ありげに投げかけられる不特定多数の視線。何も考えず周りの人に合わせて飛び跳ねた。楽しい、と実感できたのも久しぶりだ。ハロウィン当日のクラブはやっぱり混んでいて、フロアはぎゅうぎゅうで、何度も足を踏まれ、何度も知らない人の足を踏んだ。誰の汗かわからない水滴が飛んできて、念入りにセットした前髪はもうとっくに吹き飛んでいた。

 

 

 

 貧弱な体力を使い果たす寸前だった私は「イケメンを探す!」と意気込み始めたみさきの言葉に素直にしたがって、比較的落ち着いているバーカウンターの方へ避難した。

仮装という風習を無視して、目一杯のおしゃれをし、テンションの上がりきっていた私たちには次々と男の人が話しかけてきた。

お互い自分のタイプだったり、知り合いだったりと話し込んだり、お酒を奢られたりしているうちに完全な個人プレイになっていた。

子犬のような目をしたなんとなくホストっぽい雰囲気の男の人とみさきがデレデレし始めたのを、視界の隅で捉えながら、私も私で誰の支払いかわからないシャンパンを断らずに楽しんでいた。

「あや、私抜けていい?」

背後からみさきの声がし、振り返ると先ほどの子犬ホストの方を指差したみさきが立っていた。自分の予想が当たったことが嬉しくて笑みをこらえながら「楽しんで」とみさきに耳打ちした。みさきは私の言葉を聞いて「あやもね」と酔っているとき特有のどこか弛緩した笑顔で返し、振り返ることもなく出て行ってしまった。

 

まわりにいる2、3人の男の人と会話しながら頭の中で30秒数え、

「友達行っちゃったから行くね」

と告げみさきの後を追おうとすると、腕を引っ張られ強引に引き止めてきたので、ラインを交換し、「またゆっくり飲もう」と言って開放してもらった。

 きっとラインが来ても返さないだろうし、そもそもラインが来るかも怪しかった。ああいう場所でナンパする人たちは、今夜だけ過ごせる手頃な女の子が欲しいだけなんだともうすでに学んでいた。

 それを知ってナンパに応じていたのに、1人でクラブを後にすることに何処か寂しさを感じている自分が嫌だった。

 

 

深夜3時になると渋谷の路上もさすがに少し落ち着いていた。ただ足をむき出しにして1人で歩いている私はナンパの格好の餌食で、幾度となく下品な台詞を投げかけられた。冷え込み始めた秋の夜風に酔いも覚めはじめ、かと言ってタクシーを拾って家に帰る気にはなれずに、1人であてもなくフラフラと歩いた。

 

 

 

 この街で誰も運命の出会いなんて信じていないことは痛いくらいにわかっていた。

引っ掛かりさえすれば誰でも良くて、引っ掛かる中でタイミングが合えば付き合いに発展する。薄っぺらい恋愛劇が日夜繰り返されている。私のことを「タイプだ」と言って近づいて来た男性も私が体の関係に気軽に応じないことを知ると、まわりにいる適当な女の子に簡単に目移りした。ただその衝動的な性欲を凌駕する魅力が私にないことが一番悔しかった。みんな口を揃えて「愛されたい」と叫んでいるのにみんなが愛をぞんざいに扱っている事実に吐き気がした。与えられることばかり求めて与えることを思いつきもしていないその自己中さが可愛く思えた。ただ、こんなことを考えている私も誰か特定の人に愛を与える覚悟なんていつになっても出来ず、私だって同じレベルか、愛の真似事さえもしない時点でみんな以下だな、なんて思ったりした。秋と冬は厚着ができるから好きだ。ニットの重みと暖かさと、ソイラテで寂しさを紛らわすことの出来る私はみんなより少しだけ大人な気がする。コーヒーショップはもうとっくに閉まっている時間だったので、代わりにコンビニでホットのカフェラテを買った。街には座り込んで飲酒しているグループや、私と同じように1人で彷徨っている人もいた。みんな何を求めて、誰と会いたくて、何がしたくてここに来たんだろう。自問自答する。私は今日何がしたかったんだろう。たぶん何も考えてはいなかった。ハロウィンという行事に後押しされて、ちょっとした刺激と、快楽と、1人でいなくていい空間が欲しかっただけだ。それなのに、今の私に残っているのは冷めかけたカフェラテと二日酔いの可能性と都会のど真ん中で1人という事実だけだった。私は一生これを繰り返すのだろうと思う。薄い期待と刹那的な快楽と、その後に残る虚無感。これが良いことなのか、悪いことなのかはわからないけれど、何もないよりは良い気がした。

 

 

 

2019/11/01