年下

君が私との永遠を心のどこかで信じていてくれているように思える

そのことが私にはとても眩しくて苦しくて嬉しい

その気持ちに応えてあげたいとも思う

ただ、その自信が自分にはない

誰かと苦楽を共にする覚悟

恥を晒してもなお好かれ続けること

だめな君を見れる強さ

私には足りないものばかりでその事実がどうしようもなく情けなくて

 

こんな心持ちなのであれば一刻も早く君から離れることが最も君のためになると分かってはいても、生まれて初めて手に入れた甘くて優しい時間を手放す勇気もなく

 

すべてが中途半端でどっちつかずな自分のまま君といることに罪悪感を感じる

 

 

お願いだから早くして

私にはあまり時間がないの

 

 

東京タワーまで

 

 

 

 


「東京タワーまで」

タクシーに乗った瞬間君が運転手に言った

人生でそんなドラマみたいなセリフ言うの最初で最後だと思う

そう呟く私に君も運転手さんも笑ってくれて、それに安心した私がいた

私より五つも若い君といると自分の言動が場にふさわしいものか、私より遥かに世の中の楽しみ方を知っていそうな君につまらないと思われないか常に心のどこかで気にしてしまう。面白いか面白くないか、それが君の価値判断のほぼ全てだということを無意識に感じ取れていたから

麻布十番にある君の住んでいるマンションから東京タワーまではあっという間だった

「東京タワーに登ってみたい」何年も毎日のように東京タワーの暖かい灯りを眺めているのに一度もそこに登ったことがない私の呟きをちゃんと有言実行してくれる君が今の私にはとてもまぶしく、私に着いて行きたいと思わせてくれるその勢いに最近は救われてもいた

いよいよ本格的に大人と呼ばれる年齢になった私は前と違って安定して仕事に行くことができていた

それも二十歳だった頃の自分を思えば奇跡のようなものだ

安定することはいいこと。そういう風潮がなんとなくあるし安定した収入があることはもちろん嬉しい

それでもその安定と引き換えに、安直な言い方をすれば自分らしさとか刺激、焦燥感、そういったものを失った気がした

今年26歳になるんだからこんなものか、心のどこかでそう思ってはいたが、そんな自分がすごく好きなわけではなかった

君といると感情を思い出せた。楽しいとか、ここに行きたい、これをしたい、叫びたい、走り出したい、抱きしめたい、キスをしたい、セックスをしたい、触れていたい、あらゆる感性が息を吹き返していくのを感じることができた。それはすなわち生きた心地だったのかもしれない。君といると自分がちゃんと実態を持って、感情を持って生きている人間だということを思い出すことができた。純粋にそれが私の毎日を素敵なものにしてくれた。

外国人ばかりのエレベーターに乗って展望台へ上がる。ベッドの中では君との距離なんて気になったことがないのに初めて君の顔が近いなと思った。その近さに緊張している自分を心の中で馬鹿にした。こんな歳になってこんなことを気にしているなんて恥ずかしい。その緊張を君に悟られないようにすることに年甲斐もなくその日1日必死だった。よく考えたら何歳になってもデートで緊張していいのに。いつの間にか年齢なんて大衆的な枠組みに自分を当てはめていることが悲しくなった。私はいつの間にこんなつまらない人間になってしまったのか。最近どんな小説を読んでもどんな映画を見ても胸に深く突き刺さることがなかった理由がわかった気がする。

 土曜日でしかも祝日だったせいか展望台は人でいっぱいだった。手を繋いでいるカップルや腕を組んで夜景を観ているカップルもたくさんいる中、私たちのぎこちない距離感がくすぐったい。「ここが俺の推しスポット」そういってまるで自分が一番最初に見つけたみたいに自慢げに教えてくれる君が可愛かった。写真とろう、お互い見た目にはうるさいたちなので何枚も何枚も撮り直すうちに混雑している展望台の中私たちの周りだけ人が少なくなったのに気づいて自然と笑みがこぼれる。「みんな美男美女を拝めて幸せだろ」そう言い切る君にまた笑ってしまった。そういう自己肯定感の高さが好き。心の中で呟く。いろんな角度から東京の夜景を見ながらくだらないことを言い合っている時間が楽しかった。

「あそこお台場かな」レンボーブリッジを見つけた

「お台場行きたいね」私がそういうと「行きたい、行こう」「え、今から?」「今から」

当然のよう君がいう

 東京タワーから降りてタクシーを拾う

「お台場までお願いします」そういう君の声にベタすぎるデートコースだねと笑い合う

「首都高好き」「俺も」いちいち気が合ってしまう

やめてほしい 好きになってしまいそう いやもう好きかもしれない

日常を忘れてしまいそうになるくらい綺麗な夜景をくぐり抜けてお台場にたどり着いた

早いね、という私たち「橋を越えたらそこはお台場なので」またドラマみたいなセリフを言ってくれるお洒落なアルファードの運転手さん

食事を済ませ、コンビニでお酒、マックでポテトとナゲットを買い砂浜へ向かう

二月にしては寒さは厳しくない、前日の雪予報と比べると暖かい夜だった

好きな音楽の話、仕事の話、寒さに耐えられなくなってきて立ち上がり君の家へ向かう

途中ドンキでテキーラを買った

お酒を飲みながら音楽を聴いて、誕生日が近かった君のために用意したケーキを一緒につつく

映画を流したが、きちんと観ることはなく夢中で抱き合った。自然と欲望が湧き上がった。生きてる、またそう思った

お約束のように気づけば映画が終わっていた「二時間愛し合ってた」嬉しそうにいう君に咄嗟に何も返せない自分が悔しかった

もっと気の利いたロマンチックな君を照れさせる一言が言いたかった

 君がいつも私にするのと同じように私も君を動揺させたかった

最後に君がしてくれた胸と首筋の長めのキス 跡が残ればいいのに そう思った

 初めて君の部屋で同じベッドで眠りについた

まどろみの中でされたキス 胸が締め付けられた 痛い

眠っている時の君の顔も綺麗で少し嫉妬する 幸せで満ち足りていた

目標

 

目標を持った方がいい

そういって20歳の後輩を諭す

今年30歳になる先輩がいた

 

正直めちゃくちゃくだらないなと思った

その考え方が古すぎるのではないかと

 

なんでもいいから目標をもってそれに向かって歩む

シンプルで綺麗なように思える

でも目標は呪いだ

何十年も生きてて同じ思いを同じ熱量で抱えられる人間なんてそうそういない

気が変わる

自分の人生も変わる

その中で「でも私はこれを目標として生きてきたから、今までの努力を無駄にしないように目標を達成しなきゃ」

そういう思考に陥るのではないか?

そう思う

目標というのは職業なのか?

何でお金を稼ぎたいか?

それなら明確でいいと思う

私たちはこの世に生まれた以上

生活をしていかなくてはいけない

家を借りて光熱費を払い税金を払い

年金を払い食費を稼がなきゃいけない

そのためには毎月まとまったお金がいる

そのお金を稼ぐ手段を一般的には目標と呼んでいるのだろうか

寒々しいなと思ってしまった

 

地方から出てきた絵に描いたような女

クラブのvip席に座ることをイケてると思っているような女

 

麻布競馬場の本を今読んでいる

 

東京という街が大好きだ

深夜料金に切り替わったタクシーの窓から東京タワーのぼんやりとした灯りを見ているとこの夜は自分だけのものなのではないかと錯覚する

 

この街にいれば何でもできる気がする

 

魔法だ

 

でもその魔法は一部の人間にとって呪いだ

 

私もその一部なのかな

 

 

 

菅田将暉について語りたい。

 

 

菅田将暉について語りたい

私が人生で初めて強く惹かれた俳優だ

好きになったきっかけがあまり思い出せないが、たしか「そこのみにて光輝く」という映画だった気がする

ラスト間際のシーンで菅田将暉がナイフ片手に感情を爆発させるお芝居が大好きでこの映画はもう2、3年観ていない気がするが、そのシーンだけは鮮明に思い出せる

 

 

そこで菅田将暉の存在に気づき、当然ながら「共喰い」を観た

菅田将暉が俳優としてライダーの壁を突破したのがこの作品なのだと思う

私の感性が未熟すぎてこの映画については鮮明に語れないが生涯何度でも振り返りたい映画のひとつだ

 

 

当時ドロドロの映画をどうしようもなく欲していた私は、その沼にまんまと堕ち

「ディストラクションベイビーズ」を菅田将暉目当てで映画館に観に行った

あまりの暴力の渋滞と、人間の汚いところを全て詰め込んだような菅田将暉、そしてそれを凌駕した小松菜奈に胸がいっぱいになった

深夜間際の1人レイトショーほど贅沢な映画の見方はないと思う

 

 

その映画を観たのが2016年

その頃は誰も菅田将暉のことを知らなかった

 

 

菅田将暉が出演するから苦手なドラマも毎週リアルタイムで観た

藤原さくらがヒロインを演じた「ラヴソング」

このドラマの話を身の回りの人にしても、誰ひとり菅田将暉の名前を知っている人はいなかった

写真を見せてようやく「あ、なんか観たことある」と5人に1人が言ってくれるくらいだった

 

 

 

それなのに、2017年の年末には誰もが菅田将暉を知っていた

その様子をリアルタイムで追っていて、人間ってこんな短期間でこんなにも有名になれるのか!!と意味のわからない感動を覚えたほどだ

 

 

まあいい

こんなにいい俳優が世間に気づかれるのは時間の問題だ

そう思っていた

 

 

 

でも!!

最近の菅田将暉ブームにはちょっと物申したい!勝手に!

 

 

 

 

みんな共喰い観た?

ディストラクションベイビーズ観た?

ウシジマくんに菅田将暉出てたの知ってる?

 

 

帝一の國」あんなに豪華な俳優が揃っていて、文句なしに面白かったよ

知ってるよ

「キセキ」のグリーンボーイズすごい良かった

菅田将暉、歌も歌えるんだと思ったよ

「トドメの接吻」さよならエレジーめちゃくちゃいい歌だった

「3年A組」みてないけどすごく話題になってたね

 

 

10歩譲って「溺れるナイフ」観た?

完璧なコウちゃんだった

神々しかった

美しかった

同じ人類だとは到底思えなかった

 

 

溺れるナイフ」について語ると長くなるけどいつか自分の中でちゃんと言語化できればなと思う

 

 

 

 

ねえ、でも「あゝ荒野」観た?

日本アカデミー賞最優秀俳優賞とってたよ

傷だらけで白目でカッコ悪くてカッコよくてボロボロでズタズタな菅田将暉観た?

 

 

 

 

「生きてるだけで、愛」「二重生活」観た?

キャラの濃い主人公を支えることのできる繊細なお芝居観た?

 

 

 

 

古参ぶりたいわけじゃないんだ

キラキラしてる彼もすごく眩しいの

あんな造形美を持っている上に、肌も白くて全てのパーツの造りが繊細で、神様は彼を創造するのにどれほどの時間を使ったのか計り知れないなと思うし、趣味が服作りとか、yohji yamamotoパタンナーが友達とかかっこいいのもほどほどにしとけという感じだし、トークもできて、アーティスト活動もうまくいっていて、、、

個人的に彼自身が作詞した曲はちょっとダサいなと思ってしまったけど

 

 

 

 

 

何だろうこの気持ち

みんな「ピースオブケーキ」のキスシーンばっかりYouTubeで再生してる場合じゃないんだよ

彼の真骨頂はそこではない

 

 

 

 

人間特有の相反する思いが何種類も渦巻いている心の内をあんなに器用に表現してくれる俳優さんは少ないと思うんです

復讐なのか、自分自身の怒りなのか、現状がどうにもならないことに対するもどかしさなのか自分自身の力不足への悔しさなのか

何が正解で何が間違っているのか、誰を信じて誰を恨めばいいのか

これは自分のための涙か否か

自分の信じていた正義はどこにあるのか

そんな来世まで考えていても結論が出せないような混沌としすぎている感情を爆発してくれる私にとっては唯一無二の俳優なんだ、彼は

 

 

 

きゃー!かっこいい!エロい!美しい!

とか安直な言葉でその興味を銘打たないでほしい

 

 

 

ハッピーハロウィン

 

 

 暗くて足元がよく見えない。だけどこの階段はもう目をつぶっていても降りられるくらい私の歩幅に馴染んでいた。この階段を降りるのは何ヶ月ぶりだろう。半年、いやもっとかもしれない。降りた先には見慣れた景色が広がっていた。どんよりとした空気、コンクリートがむき出しの冷たい壁、理性を取り戻させる大きな鏡、規則正しく並んだ無数のロッカー、そしてその先に広がるうるさくて頭の悪そうなネオンが不規則に飛び交っている大きなフロア。よりによって10月31日のハロウィン当日に私はみさきに引っ張れて渋谷のクラブに来てしまっていた。近年、ハロウィンの渋谷、通称「渋ハロ」の治安は悪化の一途をたどっていて、去年は路上で軽トラックが何人か、いや何十人だったかもしれない、の男たちによってひっくり返されニュースでも連日大きく取り上げられた。SNSに出回っている動画を観て笑ってしまった。トラックをひっくり返している最中、明らかに最初にけしかけたと思われる数人以外はみんな「やばい」という半分理性を取り戻しているような表情をしているように見えたのだ。どうせでかいことやるなら、自分を忘れて全力で常識を吹っ飛ばせばいいのに、空気に飲まれて見切り発車をしたものの途中でビビって自分のやっていることに気づく。それなのに引き返す意志をもつほどの頭が回らないなんて中途半端で一番ダサい。そのダサさに笑ったのだ。今年は渋谷の中心区で路上飲酒が禁止となり、「渋ハロ」の警戒に約一億円の税金が使われるらしい。しかし、そんなこと私にはなんの関係もないのでどうでもいい。問題は今日私がこの無法地帯で無事に一晩過ごせるかということだ。

 

 

 足取りの重い私に気づかずにみさきはどんどん前へ進んでいく。ここ一年ほど男運がなく、どうしようもない茶番のような恋愛を繰り広げていたみさきを思い出し、流石に何か協力してあげたいな、そう思い直した私は、もう覚悟を決めて今日という夜を楽しむことにした。

 

みさきとは18歳の時にとあるクラブのデイイベントで共通の友達を介して出会い、しばらくその友達とみさきと3人で遊ぶ期間を経て、いつしか2人で遊び歩くようになった。初めてお酒で潰れた日も、初めてナンパされた男に着いて行った日も、初めてクラブに行ったのもみさきが一緒だった。

 お互いの異性のタイプも今何を考えているかも手に取るようにわかるので、一緒にいてとても楽だ。振り返るとここ6年間みさきとばっかりいた気がして、自分の友達の少なさに寂しさを通り越して呆れてくる。

みさきは一度気に入った異性が見つかると、関係を発展させるのが早く、私をクラブやバーにおいて、さっさと出て行ってしまうことも何度かあった。今日もきっとそうなるだろうと思った。この話を他の人にすると嫌な顔をされがちだが、私にはそのくらいの身勝手さが心地よかったし、みさきの奔放さが羨ましくもある。私にみさきの半分でも潔さがあったらもう少し周りに人がいる人生だったのかもしれない。

 

 

 

「あれ?みさきちゃん?あや?」

いつものように、まずバーカウンターでお酒を調達しようとしたら、知り合いのDJに出くわした。確かショウ、みたいな名前だった気がする。

「わー久しぶり!」

私よりはるかに社交的なみさきが中心となって会話を繋げてくれる。お酒の力を借りないといわゆる「ノリのいい」状態になれない私はいつもこんな風にみさきに助けられていた。

「久しぶりだし飲もうよ!」

そう言ってショウ(仮)から次々と差し出されるショットを流し込んでいるうちにだんだんいい気分になってきた。

「踊ろう!」

そう言ってショウくん(私の記憶は正しかった)と物理的な距離を縮め始めたみさきの腕を無理やり引っ張り、DJブースの前の方に連れていく。

 

 

 

髪の毛にまとわりつくタバコの煙と、心臓にまで届く重低音、意味ありげに投げかけられる不特定多数の視線。何も考えず周りの人に合わせて飛び跳ねた。楽しい、と実感できたのも久しぶりだ。ハロウィン当日のクラブはやっぱり混んでいて、フロアはぎゅうぎゅうで、何度も足を踏まれ、何度も知らない人の足を踏んだ。誰の汗かわからない水滴が飛んできて、念入りにセットした前髪はもうとっくに吹き飛んでいた。

 

 

 

 貧弱な体力を使い果たす寸前だった私は「イケメンを探す!」と意気込み始めたみさきの言葉に素直にしたがって、比較的落ち着いているバーカウンターの方へ避難した。

仮装という風習を無視して、目一杯のおしゃれをし、テンションの上がりきっていた私たちには次々と男の人が話しかけてきた。

お互い自分のタイプだったり、知り合いだったりと話し込んだり、お酒を奢られたりしているうちに完全な個人プレイになっていた。

子犬のような目をしたなんとなくホストっぽい雰囲気の男の人とみさきがデレデレし始めたのを、視界の隅で捉えながら、私も私で誰の支払いかわからないシャンパンを断らずに楽しんでいた。

「あや、私抜けていい?」

背後からみさきの声がし、振り返ると先ほどの子犬ホストの方を指差したみさきが立っていた。自分の予想が当たったことが嬉しくて笑みをこらえながら「楽しんで」とみさきに耳打ちした。みさきは私の言葉を聞いて「あやもね」と酔っているとき特有のどこか弛緩した笑顔で返し、振り返ることもなく出て行ってしまった。

 

まわりにいる2、3人の男の人と会話しながら頭の中で30秒数え、

「友達行っちゃったから行くね」

と告げみさきの後を追おうとすると、腕を引っ張られ強引に引き止めてきたので、ラインを交換し、「またゆっくり飲もう」と言って開放してもらった。

 きっとラインが来ても返さないだろうし、そもそもラインが来るかも怪しかった。ああいう場所でナンパする人たちは、今夜だけ過ごせる手頃な女の子が欲しいだけなんだともうすでに学んでいた。

 それを知ってナンパに応じていたのに、1人でクラブを後にすることに何処か寂しさを感じている自分が嫌だった。

 

 

深夜3時になると渋谷の路上もさすがに少し落ち着いていた。ただ足をむき出しにして1人で歩いている私はナンパの格好の餌食で、幾度となく下品な台詞を投げかけられた。冷え込み始めた秋の夜風に酔いも覚めはじめ、かと言ってタクシーを拾って家に帰る気にはなれずに、1人であてもなくフラフラと歩いた。

 

 

 

 この街で誰も運命の出会いなんて信じていないことは痛いくらいにわかっていた。

引っ掛かりさえすれば誰でも良くて、引っ掛かる中でタイミングが合えば付き合いに発展する。薄っぺらい恋愛劇が日夜繰り返されている。私のことを「タイプだ」と言って近づいて来た男性も私が体の関係に気軽に応じないことを知ると、まわりにいる適当な女の子に簡単に目移りした。ただその衝動的な性欲を凌駕する魅力が私にないことが一番悔しかった。みんな口を揃えて「愛されたい」と叫んでいるのにみんなが愛をぞんざいに扱っている事実に吐き気がした。与えられることばかり求めて与えることを思いつきもしていないその自己中さが可愛く思えた。ただ、こんなことを考えている私も誰か特定の人に愛を与える覚悟なんていつになっても出来ず、私だって同じレベルか、愛の真似事さえもしない時点でみんな以下だな、なんて思ったりした。秋と冬は厚着ができるから好きだ。ニットの重みと暖かさと、ソイラテで寂しさを紛らわすことの出来る私はみんなより少しだけ大人な気がする。コーヒーショップはもうとっくに閉まっている時間だったので、代わりにコンビニでホットのカフェラテを買った。街には座り込んで飲酒しているグループや、私と同じように1人で彷徨っている人もいた。みんな何を求めて、誰と会いたくて、何がしたくてここに来たんだろう。自問自答する。私は今日何がしたかったんだろう。たぶん何も考えてはいなかった。ハロウィンという行事に後押しされて、ちょっとした刺激と、快楽と、1人でいなくていい空間が欲しかっただけだ。それなのに、今の私に残っているのは冷めかけたカフェラテと二日酔いの可能性と都会のど真ん中で1人という事実だけだった。私は一生これを繰り返すのだろうと思う。薄い期待と刹那的な快楽と、その後に残る虚無感。これが良いことなのか、悪いことなのかはわからないけれど、何もないよりは良い気がした。

 

 

 

2019/11/01

 

 

 

最近、柄にもなく恋愛小説を読んでいる

 

 

 

 

深夜

部屋の電気を消した真っ暗な部屋で映画を観ていた

夏の終わりだからか、どんよりとした部屋の空気は全て私のため息で埋め尽くされているかのような閉塞感が漂っている

しかし、窓を開けて外気を入れる気力もなく、ただぼうっと明るい画面を眺めていた

 

この映画を観るのは何度目だろう

夢のように美しい女の子が主人公で、暴力的なシーンも程よくありバッドエンドで終わる

酩酊の隙間を埋めるのにこれ以上の映画を私はまだ知らない

 

今は一体何時くらいなのだろう

この季節で薄いカーテンの向こう側も真っ暗なことを考えれば、まだ4時は回っていないだろう

もう一本くらい飲んで寝るか

そう思って冷蔵庫から次の缶チュウハイを取り出し、伸びきった爪を痛めながらプルタブを開けたところで携帯画面が着信を知らせていることに気づいた

 

友達の少ない私に、しかもこんな真夜中に電話をかけてくる人は君しか思い浮かばなかった

「もしもし」

「・・・起きてたんだ」

私の生活リズムなんて、お風呂に入るタイミングまで把握しているくせに

「今ちょうど寝ようとしてた」

「そっか。タイミング悪かったかな」

「ううん、大丈夫」

彼はふっと笑ってからいつものように彼女の愚痴を話し始めた

彼が後ろめたいことを言う前の本人も意図していない細かい笑顔が、どのようにその端正な顔に表れているのかが鮮明に思い出されて嫌だった

「今日残業で遅くなったんだよ。月末は決算のこともあるから遅くなることなんてざらなんだけどね、ほら、俺がやらなきゃだしそういうの。毎月のことなんだよ。それでもなんか最近あいつの調子が悪いみたいでさ、家帰ったら真っ暗で物音がしてなかったわけ。いつもならリビングでテレビでも観てるような時間なのに。それで怖くなって家中探したら、あいつお風呂場にいてさ、空っぽの湯船の中でぼーっとしてたの。それだけならまだ良かったんだよ。あいつ自分の手首切ってて。いや、そういうくせがあるのは知ってたんだけど、実際に目にするときついよ。真っ赤で暖かいんだよ。血って。知ってた?意識はあるはずなのに何度声をかけても反応しないから急いで救急車呼んで。俺救急車なんて初めて乗ったからどうすればいいかわからなくてさ。本当は今も待合室みたいなところで待ってなきゃいけないんだけど、俺病院なんて嫌いなんだよ。白くて、蛍光灯が眩しくて、不健康で汚い人間がいっぱいいて、そういうのお前ならわかってくれるかなと思って電話したんだよ。わかるだろ?そういうの」

 

「私も病院は嫌い」

 

「だろ?お前ならわかってくれると思ったよ。俺あしたも朝早くてさ。もう帰りたいくらいなんだけど、あいつをおいてはいけないんだよね。すごい綺麗だったんだよ。不思議だな。人間って死に近づくと色気が増すって本当のことだったんだな。手首から血を流してるあいつ、いつもとは違う雰囲気まとってて、なんていうのかな、開ききった花の香りがしたんだよ。あ、ここが限界なんだって誰しもがわかる感じ」